定年ハッピーライフ#32 35年間のサラリーマン生活を振り返って嬉しかったこと、辛かったこと各3選
- 2021.09.01
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- サラリーマン生活, 定年退職, 年収, 昇進

今年5月末で60歳の定年退職をし、約35年間のサラリーマン生活に終止符を打ちました。
最近では、約80%の人が定年退職前の会社に再雇用で継続して勤務する様ですが、私は健康寿命の75歳までの時間を自分のために利用してワクワクとした人生を過ごしたいと言う理由で完全退職する道を選択しました。
そして、起業を試みましたが、準備トライアルステージで失敗し、現在は無職の大学院生です。
今回は、35年間のサラリーマン生活を振り返って嬉しかったこと、辛かったこと各3選をお話したいと思います。
60歳定年を迎えて80%以上の人が継続雇用を希望
President Onlineの記事によると
https://president.jp/articles/-/22477?page=1
大企業に勤めている人の場合、定年は60歳というのが一般的だった。しかし、2013年4月からは、本人が希望すれば、企業は65歳まで社員を雇用することが義務付けられた。
厚生労働省の調査によれば、14年6月~15年5月に60歳で定年となった会社員のうち、82.1%が企業に再雇用されている(図参照)。なお、本人が希望したにもかかわらず、再雇用されなかった人が0.2%いる。これは背任・横領といった「解雇退職事由」に該当するものの、定年まで雇ってもらったケースと考えられている。
嬉しかかったこと3選
希望していたことが叶った時、承認欲求が満たされたときでしょうか。
この時期は、会社に対する忠誠心も、モチベーションも高まっていて仕事していること自体が楽しい時期でもありました。
海外現地法人の社長になり海外での生活できたこと
日系企業に50歳を過ぎてから転職してずっと海外勤務の希望を出していました。
最終的に56歳の時に現地法人の社長として約3年半の間、海外駐在員として生活しました。
サラリーマンをしている以上、一度は海外生活したいと思っていたので夢が叶った瞬間でした。
そして、社長として会社を運営できることに幸せを感じていました。
事業自体は、厳しい時も多かったのですが、困難を乗り越えて目標を達成した時、何とか収益を継続できる会社にできたことは嬉しさマックスでした。
外資系・日系時代に営業部門の本部長、統括部長になり日本各地、海外を訪れることができたこと
昇進して部門を統括しながら運営すること、そして、仕事や研修で日本各地、海外を飛び回れたことは非常に有意義であり従実していました。
おかげ様で、プライベートも含めて鳥取県以外の津道府県は制覇しました。
海外は、20ヶ国ほど訪問することができました。
特に、日本人以外と仕事、研修などの時間を共有できたことは大きなプラスでした。
年収が大台に乗ったこと
サラリーマンであれば、目標とする大台の年収。
外資系時代は、そんな苦労せずに到達することができました。
ただし、税引後の手取りでは、それほど多くないので贅沢をした記憶はありません。
日本、海外とも旅行を沢山できたこと、この部分は大きいですね。
辛かったこと3選
サラリーマンを35年もやっていれば、辛いことも沢山ありました。
全てが自分の意思とは反対の出来事です。
しかし、サラリーマンは会社の決定に反するときは退社するとき。
辛くても我慢しなくではありません。
そんな3つをお話します。
役職定年になり定年まで7ヶ月間勤務したこと
60歳手前で役職定年になりました。
現在、規則てきには55歳で役職定年となっています。
この制度も時代に合わせて何度となく変更、修正されています。
私の場合、海外から帰国して約7ヶ月間ではありましたが、本社勤務をしました。
今まで、自分の意思のままに部門、会社を運営してきた事を考えると給与が下がったこと以上に役職・権限がなくなり、会社に出勤し仕事をすることは地獄でした。
幸い、新型コロナウイルス感染の影響でほとんどテレワーク(自宅勤務)であったため救われました。
海外現地法人より業務命令で帰国したこと
会社の業績を回復しつつある最中であったため、年度の最後まで成し遂げたい気持ちが非常に強く残念で仕方ありませんでした。
定年退職まで勤務できると信じて頑張ってきたため役職定年の業務命令で帰国となり心残りでなりませんでした。
しかし、これも会社なんですよね。
代わりの人材は沢山いると言うことです。
会社は例外は作りたくないものだと自分に言い聞かせて帰国しました。
外資系の会社を自己都合退職したこと
色々と会社には、派閥的なものはあるものです。
会社人事は、上に行くほど複雑で個人感情も入るものであると強く感じた時期でした。
自己都合で退社する前の2年間は、冷や水を飲まされました。
給与は減ることはありませんでしたが、会社の特定に上司からの風当たりは強かったですね。
但し、家族の生活を考えると辞めることもできずに地獄の2年間を過ごしました。
この2年間がサラリーマン35年間でいちばん辛かってですね。
幸い、日系企業に移る事になリ退職しました。
50歳でした。
まとめ
サラリーマン、嬉しいこともあれば辛いこともあります。
小さいことも含めれば語尽くせないほどあります。
今回は、各3つづつ共有させていただきました。
サラリーマン生活で強く感じることは、人間関係が1番であると言うこと。
同じ人間でありながら、人によって評価はまちまちです。
幸い、私の場合は、幸せなサラリーマン人生であったかと思います。
35年間を通じて、いつも高い評価をいただけていました。
3年弱ほどしか辛い時期はありませんでした。
両社とも退職間際で辛い評価、会社ルール等で意思に反することがありましたが、幸せなサラリーマン生活であったかと思います。
会社とは、収入もそうですが人間関係が大きく左右する場所であると思います。
それから承認欲求を満たすことができるかどうも大きなポイントとなりますね。
サラリーマン生活のおかげで、安定した収入を確保し、無事に家族を支えることができました。
最後に、私自身はサラリーマン生活を逃げ切ることができましたが、もう2度とサラリーマン生活には戻りたくないと思っています。
生まれ変わってもサラリーマンにはなりたくないですね。
では、また次のブログでお会いしましょう!
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